2013年9月11日水曜日

時事音痴/福島記1

「姐さん、わたしは福島に行く!」

 突然の出来事だった。晶ちゃんからメールを貰ったのだ。
 
 晶ちゃんはいま、東京の下町の、日本酒と肴の美味い店で女将をやっている。お店のオーナーは別にいるから雇われ女将とはいえ、酒の仕入れやその他の仕切りは彼女自身の肩にかかっている。そんなに暇な身ではない。
 その彼女が、唐突に、福島に行くと言い出したのだ。
 彼女のメールにはこうあった。

「なんだか最近非常に鬱なんであるが、わたしは現地に行っていないから、こんなにモヤモヤするんである。間違いない」

 ちょうどわたし自身も、

「現地を見もしないで、遠くから物を言ってるだけじゃ駄目だよなあ?」

という内圧が高くなっていた時期だった。
 急いで返信した。

「ちょっと待て。行くならわたしも一緒に行くぞ。そもそもわたしは福島出身者だ」

 だからこの原稿は、福島からお届けしています。そう、わたしはいま、福島に居ます。
 これは、「5月15日から6月3日の福島」を記す試みです。現在、5月25日。あるいは6月3日まで滞在できるかも、いったい何回更新できるのか不明ですが、よろしければお付き合いのほどを。
 それにしても現地に来るまで、迷いに迷った。
 わたしは母と姉が福島にいるけれど、宮城と違って、福島は瓦礫の処理も進んでいないという話だった。

 だから、最初は、

「軍手とマスクとレインウェアが必需品か? 足元はどうする? で、肝心の服装は?」

という悩みでおろおろしていて。ノートパソコンと、ドコモの「mopera U」という、泣けるほど遅いけれど、それなりに広いエリア内をカバーしている公衆無線LANサービスがあるのだけれども、それをUSB接続でインターネットにつなぐ機材と、あとはデジカメとICレコーダーだけは持って行くことが即座に決まったものの、服装で悩みに悩んで。とはいえ、想定する事態に全部対処できるほどの荷物も持てるはずもなく、ラフな服装にノートパソコン保護用のビジネスバッグという滅茶苦茶な取り合わせで、まずは晶ちゃんのお店に足を運んだ。
 晶ちゃんが言う。

「姐さん、たぶんなあ、向こうに着いたら、わたしたちはあまりにも『普通』なことに驚くと思う」

 相変わらず鋭い。その通りかもしれない。
 5月15日、復旧した東北新幹線に乗車して、新白河駅を目指す。
 ちなみに新白河駅というのは、福島県白河市にはない。正確には、「福島県西白河郡西郷村」にある。東北新幹線を設計するとき、白河駅を通過しようとしたんだけれども、そうすると急カーブしなければならないとかで、突発的に、村に、駅が出来た。わたしの中学生の頃に東北新幹線は開通したのだが、毎日新聞に、

「全国で唯一、新幹線の駅のある村」

とか謳われて、当時の村長が両手に大根を握らされて、万歳したポーズで写真に撮られていたのが記憶に焼きついている。馬鹿にされているのかどうか、微妙な記事だった。もっとも、それも無理はない。わたしは東北新幹線が開通した当初、父が那須での宴会のあとに那須塩原の駅から新幹線で帰宅するというので母と犬と一緒に迎えに行ったことがある。
 新幹線は、速かった。感動的に、速かった。
 父が駅の公衆電話から、

「そろそろ帰るぞー」

と言った10分後ぐらいには、改札口から出てきた。普通、那須塩原から車で新白河までやってくるには、40分以上かかる。
 酔った父と母とわたしと犬一匹で立派過ぎる駅舎の階段を降りた。すると、足元がやけにフカフカする。
 うん? この駅前、どうなってるんだ?
 不審に思い、ライトを照らしたら判明した。
 全員で「ネギ畑」に足を踏み入れていた。慌ててその場から遁走したのは忘れられない。

「姐さん、起きろ。そろそろ新白河やで」

 晶ちゃんに揺り起こされて、目覚めた。
 そう。わたしは東北新幹線に乗車してから、熟睡していたのである。
 ちなみに西郷村というのは、この記事で一躍、全国的に名を馳せてしまった村でもある。4月13日の時事ドットコムより引用しよう。以下、引用。

放射性ストロンチウムを検出=原発30キロ外、福島6市町村-文科省

 福島第1原発の事故で、文部科学省は12日、福島県でサンプル調査をした結果、土壌と植物から放射性ストロンチウム89と90が検出されたと発表した。同省によると、事故をめぐりストロンチウムが検出されたのは初。
 同省は3月16~17日、第1原発の30キロ圏からやや外にある福島県浪江町の2カ所と飯舘村の1カ所で採取した土壌を分析。1キロ当たりストロンチウム89が最大260ベクレル、同90が最大32ベクレルだった。
 大玉村、本宮市、小野町、西郷村で19日に採取された植物も分析。1キロ当たりストロンチウム89が最大61ベクレル、同90が最大5.9ベクレルだった。サンプルの植物は食用野菜ではないという。
 ストロンチウムは、カルシウムと似た性質を持ち、人体に入ると骨に沈着し、骨髄腫や造血器に障害を引き起こす恐れがある。ストロンチウム90は半減期が約29年と長く、過去の核実験の際に飛散し問題となった。同89は半減期が約50日。

 引用、以上。
 ちなみに西郷村役場の福島第一原発との方向及び距離はというと、西南西に約84Km、なんだそうだ。

 まあこんな寒村に、ストロンチウム様、ようこそお越し下さいました。
なにもございませんが、草の上ででも、のんびりなさってくださいませ。半減期、長いんでございましょう?
 
と、笑うしかない、もうこうなったら。いや、内心は笑ってない、まったく。
 久しぶりに目の当たりにする故郷は、晶ちゃんが指摘していた通り、あまりにも「普通」だった。
 驚愕した。
 新白河駅に新幹線の車体が滑り込んでいこうという間際に、ドア付近の窓から、

「ジョギングして体力作り」

に励んでいる中年男性を見かけたからである。

 馬鹿ーっ! だれが「チェルノブイリ」から84km圏内で「体力作り」するかーっ。

 事故の性質は違うとはいえ、レベル7だぞ、レベル7。ストロンチウムも検出されたんだぞ、解ってんのかーっ。
 わたしは以前、ガイガーカウンターを持参してバイクに乗り、チェルノブイリの「死のゾーン」と呼ばれる区域も旅した女性のサイトの翻訳版を読んだことがある。2003年頃の話だ。このときに「リクビダートル」などの知識を付けたのだが、読んでいたときは思っていた。無茶するなあ、と。
 しかしあまりにも「普通」過ぎる故郷に、妙な気合と意気込みみたいのが、萎えた。マスクも外した。
 母が駅前に車を停めて待っているというのに、晶ちゃんにつぶやく。

「腹、減ったなあ」

 新白河の駅では、通常通り、「駅そば」が営業中だった。
 5月15日の時点で、東北新幹線は臨時ダイヤルで運行されていた。その朝一番に乗車したんだけれども、朝食を取ってこなかった。
 それに晶ちゃんが呼応する。

「姐さん、駅そば、行く?」

 外食産業が、ペットボトルの水を使ってくれる訳はない。ちなみに、WHOが定めている飲み物の基準値は、10ベクレルである。で、国際法で定められた原発の排水基準は、ヨウ素131が40ベクレルで、セシウム137が90ベクレルだ。さて、そこで日本の飲み物の暫定基準値はというと、セシウム137が200ベクレルで、ヨウ素131が300ベクレルである。乳幼児ですら100ベクレルという、原発の排水基準値よりも高い「暫定基準値」とやらに定められている。わたしから見ると、「最初に暫定基準値ありき」で、その後の世代にどういう障害が現れるかなんて、まったく考慮にいれてないように思える。
 念のため確認する。

「それ、内部被曝覚悟?」

 ニヤリと晶ちゃんが笑う。

「上等、上等。東京だって汚染されてる」

 いいか。彼女は、自分の意思と判断でここにいる。わたしが望んで巻き添えにしたわけではない。

「そーさな、内部被爆は大人の醍醐味だよな」

 ケータイにガンガンと母からの着信が入るなか、晶ちゃんと駅そばを啜る。
 久々に再会した母は、激怒していた。

「待っていたのに、何やってるのーっ」

「ごめん、お腹が空きすぎて」

 この日、晶ちゃんには目当てがあった。

 ある蔵元さんを訪問することである。
 だから実はここにその蔵元さんの訪問記が書いてあったんだけど、全削除した。わたしは叩くつもりもなければ、丁寧に書いたつもりだった。けれど確認のために原稿を送信したところ、自分たちには触れてくれるなとの返信が届いた。仕方ない。

 その後、地震の爪あとなどを母に案内してもらった。
 瓦礫の撤去が進まないという話は主に津波の被害を受けた浜通りの話であって、東北新幹線の通っている県の真ん中の中通りは「瓦礫を掻き分けながら先を行く」という必要性は皆無だった。
 ただ、路肩は崩落していたり、地盤ごと家が滑り落ちていたりして、なかなか無残ではある。
 
国の史跡に指定されている白河市の小峰城――1632年(寛永9年)に完成して、戊辰戦争で城自体は焼失した城も石垣だけは残っていたのだが、その石垣が見るも無残に崩れているのを目にした。築城から400年弱経った城の石垣すらも崩れる地震であったのを物語っていた。
 
だが、それはいいのだ。形あるものは、いつかは壊れる。


 それ以上に印象的だったのは、子供たちだった。
 子供たちが田んぼの畦で遊んでいる。



 文科省は、小中学校や幼稚園などの利用基準としての、年間20ミリシーベルトの暫定被曝基準値を定めた。これにしてもかなり異論のある値であるが(最近になって、1ミリシーベルトへの動きが出てきたが)、わたしが困惑していたのは、「それはあくまで文化省の手の及ぶ範囲内のことで、そうでないあいだにどれだけ子供たちは被曝するのだろう」ということだった。
 
登下校の問題にしてもそうである。そして、現実問題として、子供たちを家のなかにだけ監禁しておけるのか、ということだ。

 このあとしみじみ思い知らされることになるのだが、初動の段階で政府が行った「安全刷り込み」といったものは、情報を積極的に取りに行かない福島県民に対しては、かなりの割合で成功してしまっていた。

 そして、現にいま、目の前で繰り広げられている光景がそうだ。

 農家の人たちが作付けをしている。そして畦で子供たちが遊んでいるのを、

「とても健康的なこと」

として、喜ばしく眺めている。そして子供たちは、目に見えない危険など恐れる訳はない。
 友達がいれば畦で集い、変わった虫がいれば追い、水たまりがあればそれがどれだけ汚染されていようがバシャバシャと音を立てて跳ねる。それが現実だ
 そしてスーパーでは福島産の野菜が「がんばろう、福島」との合言葉で販売されていた。
WHOの食品の基準値は100ベクレルである。では、我が国、日本では? 野菜の暫定基準値ヨウ素131が、2000ベクレルである。地域経済を応援している場合なのだろうか? 
 むごい、と思った。
 これから、この子たちの未来に起こる出来事が、あまりもむごすぎる、と思った。

つづく

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