2013年9月12日木曜日

時事音痴/栃木行 その2

 小山の宿泊先となったのは、家族経営の古いビジネスホテルだった。


人柄の良さが笑顔に表れている少し年配の経営者らしき男性に駐車場を案内してもらう。男性はナンバープレートを見て、

「高知からいらっしゃったんですか?」

と驚いた。どうして小山へ、という質問に、少し濁して答えた。

「以前、小山に住んでまして。小山の知り合いに会いに来ました」

 わたしは自分が西に逃げようと決めたときに、思った。土地も建物も要らない、わたしの財産は夫だけでよい、と。仕事もまた、首都圏から遠く離れたらもう継続は無理に近いと考えたが、それでもよいと思った。


 本音を言えば、「がんばろう、福島」という言葉は、そこに留まるために使われるべき言葉ではなく、まずは可能な限り遠方まで逃げて、それから「がんばろう、福島」と、異郷の地に離散した互いを励ましあうためにこそ使われて欲しい言葉だと感じている。



 とはいえ、あれから時は流れた。
 未だに「ただちに影響はない」という言葉を信じている人はいないだろう。それぞれがさまざまなファクターを考慮したうえで、留まるか留まらないかを決断している。
 わたしが小山にやってきた第一の目的は家の処分なわけだが、不安を抱えながらも留まるほうを選択した人にむやみな刺激を与えるのは避けたかった。

 部屋の鍵を受け取ったときに、経営者らしき男性にちょっと尋ねた。

「大久保先生は、いまも小山市の市長ですか?」

 すると男性は、満面の笑みを浮かべて答えてくれた。

「ええ! 大久保さんです。来期も必ず大久保さんでしょう。圧倒的な支持を集めていますからね。大久保さんに敵う候補者はいないでしょう」

 この満面の笑みに、少しだけ救われた。

「……そうですか、よかった」

 わたしが西に逃げて、『時事音痴』にそのことを書いたものが掲載されたとき、大久保氏からわたしの携帯に着信があった。

 後で気づいてかけなおしたけれど、何度試しても、出て貰えなかった。

 農水省出身だけあって、大久保市長は小山の農政に力を注いでいた。

小山の農業を守る

そういう立場にある人が、『風評被害』を煽るような真似をしているわたしと埋まらない溝ができるのは当然のことだ。しかしわたしの選択のみが正しいとは、わたしは言わない。

現在、小山に留まり、農業を続けている生産者をどう守るかという課題がある。その課題を背負う。大久保氏にはそういう使命がある。そしてそれを力強く実践しているからこその、圧倒的支持だろう。

 ときどき大久保氏は、市役所の市長用の応接室にわたしを呼び出した。

いつも勝手で、唐突だった。そこがわたしは好きだった

まったく大久保センセは困ったお人だと苦笑しながら市役所まで出向いた。大久保氏が推し進めている地産地消や、日本の食文化を守ろうとする食育の方針の話をふたりでしてると、楽しくて、未来に光を感じられて、確かに大久保氏は政治家としての顔を持っているのだけれども、それだけではない、どこか少年のような純粋な横顔を垣間見せてしまう瞬間があって、そういう油断を見せてくれることが嬉しかった。



 3.11で、道は分かれた。



 わたしはわたしの選択をした。大久保氏も、無論、した。
 互いの道が交わることは、二度とない。解ってる。
 いつまでも元気で、自らが選択した道を邁進して欲しいと願う。逃げた人間からのエールなど、欲しくもないだろうが。
 だけど悲しいのだ。溝ができてしまったことが、悲しいのだ。
 原発事故以降、2ちゃんのあるスレッドで、ダーウィンが残したとされる言葉を見つけた。

『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』

 スタンスが揺らぎそうになるたび、高知での生活に馴染めない苦しさを感じるたびに、自分に言い聞かせてきたこの言葉を、古いビジネスホテルの硬いベッドに横たわりながら、幾度も思い浮かべた。



 翌朝を迎えると、夫とふたりで重いため息をついた。

「疲れたね、まだなんにもしていないのに」

 夫の言葉に同意した。

「うん、本当にね。でも、淡々と実行していくしかないよ」

 わたしをよく理解している夫が少し驚いた。

「マキちゃんからそんな言葉を聞くとは思ってもみなかった」

 苦笑した。

「だねえ。知っての通り、状況が悪くなるとすぐトンズラするのがわたしだからね。だけど今回だけは、逃げたらわたしはずっと苦しいのが解る」

 夫が顔を上げた。

「まず、どうしようか」

「うん。わたしは真っ先に、信末さんのところを訪れておきたい。そうするのが筋だと思うんだ。小山の集落の人たちを紹介してくれたのは信末さんなんだし、それより先に物事に着手しちゃいけないように思う。わたしたちがやってきたのを信末さんより先に集落の人たちが知ったら、信末さんの顔を潰しちゃうよ」

「その通りだね。一番気が重いのだけれど、そうしようか」


 長距離の運転で疲れていたのもあり、レイトチェックアウトのぎりぎりまで寝ていたせいで、栃木太陽の会の農場に到着したのは昼ごろだった。

 驚いたことに、信末さんの奥さんが泣きそうな笑顔で駆け寄ってきてくれた。

「小山に戻ってきたの?」

「はい。――家を処分するためですが」

 奥さんからは原発事故のあと、夫の携帯に連絡があったのだ。


『原発が爆発したぐらいで農地を放り出す百姓がどこにいる!』


と叱責された。それは当然だろうと思う。先祖伝来の農地を守る。それを最も実践してきたのが信末清さんだからだ。

 わたしはなにもスピリチュアル系な気分から、有機農業が良いと思っているわけではない。

幾度かこの連載で書いてきたかとは思うが、土と砂との違いというのは、「腐植」という物質が存在するか否かなのだ。「腐植(腐植のショクが、腐食のショクではなく、植物のショクであるのに着目して欲しい)」は、土壌有機物で、その構造体すらまだ解き明かされていないのだが、炭素が縮重合されたものと言われている。動植物が土壌に還元されたときに、ミミズといった土壌中の小動物や微生物が関与して作られるらしい。

 余談になるが、土壌中の小動物の代表格であるミミズは、よく知られているように、土壌改良に大変有効である。
 というのも、ミミズの糞が土壌の「団粒構造」を造りだすからで、要するにミミズの糞がコロコロとした土の塊になるわけだが、この団粒によって構成される土壌には適度な空隙が存在することになる。すると排水性及び保水性に優れ、やわらかい土となる。 

 一方、団粒構造が形成されていない土は水はけが悪く、作物がうまく育たない。

団子と団子で作った土と、ぬめった泥が固まったような土をイメージすると、団粒構造を持つ土の排水性と保水性がイメージしやすいかもしれない。

 普段は団子と団子のあいだに水が保たれ、だけど過剰になると排出される、というような。非常に健全な土となる。

 だから2月の初頭に帰村宣言を出した福島県の川内村のミミズから2キログラム当たり2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたという報道は、わたしには地味に衝撃的だった。
 セシウムの人体への生態濃縮云々以前に、ミミズという種の行き着く先、そして結果的に、団粒構造という農業においては重要なファクターの喪失を予測したからだ。

 ちょうど日本の高度成長期の時代というのは、窒素、リン酸、カリといった化学物質を肥料として撒けば、作物の生産は可能だという考え方が主流だった。
 しかし、これでは土壌有機物がやがて枯渇していく。その結果、80年代末ごろにはすでに日本国内においても、農地の砂漠化というのが始まりつつあったのだ。
 腐植を食い尽くすときに、砂漠は生まれる。怖いな、と単純に感じた。四大文明が滅んだのも砂漠化と因果関係があると知り、有機農業を支持しようと考えた。収奪農業の行き着く先には、飢餓がある。


 もっとも、夫が有機農業を栃木でおっぱじめようとしたのは、別段、わたしの考えとは無関係である。


食の安全を求める首都圏の消費者に、付加価値のある商品を提供することに活路を見ていたのだ。
 再会したときは叱責されるかと思っていたのに、逆に奥さんから遠まわしに詫びられた。

「あれからね、清さんと話していたのよ。『原発が爆発したら、まず逃げないとならなかったんだな。それから順番に物事を考えていけばよかったんだ』って。わたしたちは知らなかった。原発事故というのが、これほど農業に打撃を与えるなんて。それに……孫たちのことも考えるとね」

 かえっていたたまれなくなった。フォールアウトの危険性を伝えなかったのは、わたしだ。
 小山にいたころは、信末さんの面影を受け継いだお孫さんと遊んだりもした。信末さんの農場で採れる、ふかしただけのかぼちゃをおやつに食べて、とても健やかに育つ、素朴であどけない子供たち。
 うつむいたまま、尋ねた。

「あの……らでぃっしゅぼーや(有機野菜宅配サービスの大手)との取引は、現在はどうなってますか」

「らでぃっしゅはね、ベクレルモニターでセシウムを検査しているの。出荷の自主規制値は国の基準値の十分の一の50Bq/kgということになっている。けど、うちはベクレルモニターではずっと不検出なの。それでも個別注文はなくなってしまった」

 つい、黙り込んでしまった。すると奥さんが重たい空気を遮るように笑ってくれて、

「まあ、とにかく母屋に入ってちょうだい。マキちゃんが来たら、清さんが喜ぶしね」

と促してくれた。
 母屋にお邪魔すると、信末さんが携帯でだれかとやり取りしていた。厳しい面持ちと、いくつかの単語から内容は推察できた。信末さんは野菜だけでなく、堆肥も販売していた。野菜についてはほとんど3人の息子さんや従業員に任せて、自分は堆肥作りに労力を割いていた。
 昨年の六月に、栃木で作られた腐葉土から放射線が検出されて、ホームセンターなどでの販売が禁止されたとき、わたしは打ちのめされた。この後になにが起きるか、予測がついたからだ。
 栃木で作られる堆肥の販売の禁止。これだ。
 信末さんが長年かけて築き上げたものが、一瞬にして瓦解した。
 東電は、国は、いくら賠償しようが償えないだけのことを、した。
 信末さんは携帯でのやり取りを終えると、疲れた顔で、それでも笑顔を浮かべて、

「おう、山崎。来たか。まったく、いやんなっちゃうよなあ」

と言った。

 携帯で交わしていた会話の内容はおおよそ推察していただけに、うまく笑えない。この時期にはすでに噂で漂っていた。どうやら東電は、福島県内ですら一部地域に、一人当たり8万円の損害賠償すら支払わない意向であると(後にこれは事実となった)。会津地方、そしてわたしの故郷である白河地方である。理由は「線量が低いから」。2月13日の時点では、県のオフィシャルサイトで確認すると白河合同庁舎駐車場の高さ1mの空間線量は「0.32μSv/h」。去年の五月頃は0.5μSv/h以上あった記憶はしっかり残っている。


どこが「低い」のか、わたしには理解しがたい。


放射線管理区域は0.6μS/hではなかったか?

 福島ですら、このザマだ。ならば栃木は?

 でも、必死に笑みを作った。

「はい。会いにきました。えっと、信末さん、これ!」

 赤福が入った袋を手渡した。

「お?」

 袋のなかを覗き込むと、信末さんがにんまり笑った。

「赤福だあ」

 その笑顔にかつてのような輝きを見て、ようやく自分にも心から笑える瞬間がきた。よかった、赤福にして。

 信末さんはいきなり包装紙を破いて、嬉々としてへらで赤福を食べ始めた。猛然たるスピードで。
 食べながら、話し始めた。

「東電がさ、200人も弁護士用意したって」

「そういうところだけは用意周到ですねえ。原発の安全対策は平然と怠ったくせに」
 国からの「追加融資」という名の税金の投与も、さぞかし高い弁護費用に使われるのだろう。うんざりだ。

「堆肥の出荷、停止してんだ。うちの八重子さん(信末さんの奥さんの名前です)から言われてる。このまま行くと、うちの経営は、って。――これまで、いつだって、こうすればいいっていうビジョン? 浮かんだんだよ。だがなあ……今回に限っては、なーぜか、そういうのがまったく、浮かばねえんだよな。なあ、高知の農業って、どうよ」

「うーん、正直言って、悲惨の一言ですね。福島や北関東がいかに凄い穀倉地帯だったか、思い知らされました。知識として知っているのと、現実を前にするのでは実感がぜんぜん違います。小山は、フラットな、圃場整備された農地が延々と広がっていて、機械が容易に入る。ほら、買ったときに信末さんから『こんな馬力の少ないトラクターで大丈夫かよう』って心配されたウチのイセキのキャビン付きの24馬力(キャビン付きのトラクターでは最低ランクの馬力です)、あれ高知に持ってったら近所中の話題になっちゃって。『どこの山を買って平らに開発するがや?』って尋ねられる始末ですよ」

「開発……。なんかもう、どういう土地に越したかそれだけで解るな。棚田ばっかりか?」

「その通りです。しかもですね、田植えが“手植え”ですよ? 動力が使えなければ手動で行く、みたいな。あの田んぼ、『これが先祖伝来の田んぼだ、お前に譲ってやるから大事に守れ』とか言われたらですね、わたしだったら、『バスジャックの真似事でもして、刑務所入ってたほうがマシだー!』と思いますよ、正直」

 信末さんはそこでガハハッと笑って、次の瞬間、びくりと怯えた。
 奥さんの八重子さんが、物凄い目つきで信末さんを睨んでいたからだ。
 信末さんは、赤福をほぼ一気食いしていて、あと一へら分しか、残していなかった。ご機嫌を伺うように、信末さんが必死に笑う。

「や、八重子さんも、食べる?」

「当たり前でしょう!」

 みんなで笑った。信末さんと奥さんの八重子さん、そして夫とわたしの4人で、この瞬間はさまざまなそれぞれの悩みや苦しみを忘れて、笑った。



 3.11以降、何気ないこんな出来事が、とても貴重なものに感じられるようになった



この一瞬があっただけでも、信末さんに会いにきてやっぱりよかったんだと思えた。

 信末さんをからかった。

「いいもの見ちゃったなあ、信末さんの赤福一気食い」

「一気食いじゃないよ、俺、ちゃんと最後のひとつは残したもん」

 奥さんが憤怒する。

「一気食いと同じよ! 普通、半分は残すでしょ!」

 それからしばらく小山のころの思い出話で賑わった。
夫が友人ふたりに手伝ってもらいながら、手探りで完成させたビニールハウスのなかでバーベキューパーティーをしたときの思い出、みんなで那須の信末さんの農場に行ったときの思い出。

けれど、那須の話になったら、やはり放射能の話題に戻ってしまう。




 信末さんは去年の3月21日、福島、茨城、栃木、群馬の各県産ホウレン草が出荷停止になったあたりから、相当な危機感を抱いて原発事故が農業に与える影響について勉強し始めたらしい。そして那須の畜産農家の人たちに、飼料となる稲わらを屋内で保管したほうがいいなどと呼びかけたりしていたという。肉牛の農家は初期から危機感を抱いて飼料を屋内に保管したらしいのだが、放射性セシウムが不検出の稲わらを与えていた肉牛からすらも、国の基準値を超える放射性セシウムが検出された。

 これはたぶん、あの時期のすさまじいフォールアウトと無関係ではないだろうとわたし個人は推察するわけだが、科学者ではないので、証明はできない。素人のつぶやきに過ぎないので、この仮説については各人、それぞれ考えていただければ幸いだ。
 信末さんが苦笑しながらつぶやいた。

「県境を越えて福島に行けばさ、俺たちはここに居ても大丈夫なんだろうか、せめて那須のほうに逃げたほうがいいんじゃないかと言う。那須に行けば、俺たちはここに居ても大丈夫なんだろうか、小山あたりまで逃げたほうがいいんじゃないだろうかと言う。で、小山の人間にしても、俺たちはここに居ても大丈夫なんだろうかと言う」

 チェルノブイリ事故のころに、当時の友人だった女の子に言われたことを思い出した。

『どうせ世界中に放射性物質は拡散していくんだから。いくら内部被曝を避けようとしたって無駄だよ』

 それはその通りなのだ。事実だと思う。わたしは高知が汚染を免れているとはまったく思っていない。どこまで遠ざかれば安全なのか? そんな答えなどだれも持ってはいない。ベストはない。ベターはあるにせよ。
 しばらく話しているうちに、農地の除染についての話題になった。

「このあいだ福島で実験的に行われているという、農地の除染のニュースを見ました。どうやったら農地の除染なんか可能になるんだろうと思っていたんですがね。わたしが映像を見た限りですと、あれ、土壌反転客土耕に見えたんですが、違いますか?」

 信末さんが勢いこんだ。

「そう、反転耕」

 土壌反転客土耕は、重機を使って、表層土と下層土を反転させる、要するに土の天地返しだ。

 これは本来、桜島などの火山灰が降る地域に使われていた土壌改良技術である。火山灰に対する対策としては、有効だと言える。というのも、表層土と火山灰の天地返しならば、それまで耕作されていた表層土、要するに「生きた土」を表面に置き換えられるからだ。しかし現在、福島で行われている土壌反転客土耕は、耕作土と古土壌の天地返しになるわけで、古土壌は耕作土ではないから、有機資材を使った土壌改良が必要になってしまう。つまり、信末さんが作っている堆肥のような、有機資材だ。
 ここらへんの推察で、すでにわたしのなかの結論はほぼ出ているのだが、本職の意見が聴きたかった。

「反転耕もな、表土とその下の土がひっくり返るのは半分ぐらいなんだよ、実際のところは。しかも、それなりにパワーのある重機を使っても、そうそう深くひっくり返るもんでもない。そりゃまあ、やればそれなりに農地の空間線量は低くなると思うよ、セシウムを内部に隠しちゃうわけだからな。だが、その農地に作物を植えて、根が深く入っていったときにどうなるか? という課題があるんだ」

「ああっ、そうだった、根! これはちょっと考えが至りませんでした。やっぱり生半可な知識では物事を語れませんねえ」


 わたしが、ある取材中に「もう農学部卒とか、絶対に言いたくない」と思った過去の出来事がよみがえってきた。
 実にマヌケな話で、ある山腹の有機農家さんにお話を伺っていたときに、「この山の上のほうではニンジンを作っていて、山の下のほうでは大根を作っている」と言われて、同じ地域なのに、どうして主要作物に違いができるのかと不思議に思った。最初、標高による寒暖の問題なのかなと推察してしまったんである。すると取材を受けていた生産者さんが呆れた。

 そう、山というのは、常に崩落している。長い時間をかけて、わずかずつであるが、表土がゆっくりと崩落している。するとどうなるか? 

 土壌の厚みが、山のてっぺんに近づくほど薄くなり、裾野に近づくほど厚くなるのだ。

 だから、山のてっぺんに近づくほどニンジン、裾野に近づくほど大根、という当たり前の結論が導かれるのである。
 うちの土壌研の竹迫先生は、山岳土壌が嫌いだったんですー!(土をサンプリングするために登山するのが大変なので、先生はいつも山を登るたびに息を切らして「だーからわたしは山岳土壌は嫌なんだよー」と怒っていた) というのは、言い訳になってない。
 
 やはり農地の「除染」なんて、壮大なごまかしに過ぎないという思いが強くなる。

除染ビジネスに多大な国家予算を使って、それで? 
目の前の利権を食い尽くした先は?




 昔、「レミングス」というゲームをやっていた時期がある。けっこうヒットした作品であったが、わたしはやってるうちに陰鬱な気分になってしまい、早々にリタイアした。ゲームのモチーフに使われているのはレミングというネズミの集団自殺的行動で、レミングたちはプレイヤーが手出ししなければ、粛々と崖に向かって歩いていき、絶壁から海に落ちて、死ぬ。

 粛々と、死に向かって歩みを進めるレミングたち。

 最近、あのゲームをよく思い出す。そしてわたしもまた、レミングスの一匹に他ならないように感じる。ただ、崖に向かうにあたり、微妙に納得してないレミングであるかのような。集団の流れには逆らえないし、わたしもまた崖に向かって歩を進めているのだが、釈然としない思いを抱いているだけ、というような。

 わたしはせいぜい1時間ぐらいで、おいとまして、小山の自宅を見に行こうと考えていた。なのに会話の節目、節目でなんとなく信末さんが次の話題を繰り出してきて、なんと4時間ぶっ通しで喋り倒すことになった。

 この先、自分はどうあるべきか。信末さんが真剣に悩んでいるのが伝わってきたから、わたしはその場に留まった。



 信末さんと出会ったのは、二十代の終わりだったと記憶している。

あれからずいぶんと歳月は流れ、わたしはもう四十代後半も近い。



いつもわたしの先を見つめていた信末さんから、これほど強い迷いを感じたことは、かつてなかった。わたしと会話しながら、信末さんは自分と対話しているようでもあり、答えを必死に探している。
 ペトカウ効果と呼ばれる、「長時間、低線量放射線を照射する方が、高線量放射線を瞬間照射するよりたやすく細胞膜を破壊する」という事実。破壊された細胞膜からは放射性を持つ分子が細胞内に入り込み、DNAを傷つける。

 原発推進派からの反論としては、「世界中のどこにいたって低線量被曝をする。本当に低線量被曝のほうが人体に悪影響を及ぼすというのなら、人類はとうに滅亡している」というものだが、そもそも生物の歴史というのは、放射線との戦いだったと記憶している。そのためにDNAの自己修復機能を、生物は備えた。余分に浴びていい放射線など、ない。さらに言えば、原発推進派は、「ペトカウの低線量被曝の実験は600μSv/hという“高線量”で行われた」という二枚舌を使うのだが(低線量被曝のはずが、ここでいきなり“高線量”被曝に変わる)、少なくとも事実として言えることは、例えば福島市のような1.5μSv/hの空間線量の被曝を5年間続けたらどうなるか? という実験データは、いまのところない、ようだ。(公になっていないだけかもしれないが)。
 また、原発推進派は「カリウムからだって被曝する」というが、カリウムとセシウムの違いは、生体濃縮だ。そもそもカリウムは、化学肥料の三大要素ですらある。窒素、リン酸、カリ。定番である。カリウムを排出する機能を人類、そして生物は備えていても、カリウムと間違えて体内に取り込んでしまった放射性セシウムに対しては人類は誤作動を起こす。筋肉などに蓄積し、なかなか排出されない。

 そんなことはたぶん、物事を徹底して追及する信末さんならとうに承知しているはずで、いまさらわたしが口にする必要はない。


「俺、北海道とかに渡ったほうがいいのかなあ?」


 自問自答するような声。
 あまり踏み込まないように、応じる。

「信末さんの重機は半端ないですもんね。あれは、高知に持ってきても、使える場所はないかも」

「そっかあ。俺、山崎マキコが高知に行ったから、高知もいいかなと思ってたんだけど」

「うーん、山を削って、開発します?」

「そこから始めるのかよお。参っちまうなあ」

 信末さんが北海道に渡る決断ができないでいる理由は、いくら馬鹿なわたしでも解るのだ。信末さんの知人だけで、北海道で農業に携わっていた生産者が3人、経済的な理由により自殺していると、以前、信末さんは語っていた。





 他人であるわたしはもはや、立ち入れない領域だ。





 信末さんの話はまだ続きそうな気配だったのだが、日没前に小山の自宅を見ておきたかった。仕方なく、強引に話を断ち切った。
 畑まで見送ってくれた信末さんはどこか弱々しく、力なく、頼りなく、胸が痛んだ。



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